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中国式パーティー?

10月1日は、中国の国慶節(建国記念日)でした。(1999年の日記より)
建国50周年ということもあり、いろいろな行事があったのですが、ここ延辺でも、外国人、帰国華僑のための国慶節祝賀パーティーがあり、私も招かれました。

延辺大学の外事処の人が迎えに来てくれ、私たちはパーティー会場へ。
パーティーは6時過ぎから始まり、延辺朝鮮族自治州のえらい人が15分位(!)長々とお話をしたあと、乾杯がスタート。中国人の中には乾杯が終わる前から(始まる前から!?)食べていた人もいたけれども、乾杯のあと、バイキング式のパーティーが始まりました。

そして7時過ぎ…突然誰かが一曲カラオケを始め、それが終わったかと思うと、またえらい人が出てきて何か言ったあと、「謝謝!」と一言。それを合図に行進曲が流れはじめ、私たちは何がなんだかわからないうちに会場から追い出されてしまったのでした。

それにしても、たった1時間で終わるとは!(もっと食べたいものもあったのに!)
なぜそんなに短かったのか理解できなかった私に中国歴5年強の先輩は、「うーん、なんか、上(政府)からの命令で、いちおうやったって感じじゃない? で、テレビ局来てたでしょ? テレビ用だよ。朝鮮族の自治州にいる外人も、こんなに国慶節をお祝いしていますって放送されるんだよ。撮影終わればパーティーも終わりだよ。」と教えてくれました。

さすが中国。
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中国のテーブルマナー

今回はスープにまつわるマナーについて。

日本ではスープっていつ食べますか?
日本でスープと言えば味噌汁、ご飯と一緒に食べますよね? 香港ではまずスープのようです。「飲湯先!(まずスープのみなさい!)」とかいわれてスープが出てきます。そこで、まずスープだけを飲みます。

スープを飲み終わったらスープを飲んだ茶碗にご飯を入れ、食事が始まります。そして食事が済んで茶碗が空になったら、そこにまたスープをいれて飲んで食事は終わります。

そんなわけで、日本と違っておわんとちゃわんは同じ、お皿を洗うのも簡単です。

この「はじめにスープ」というのは北京や他の地方で体験したことがないので、多分中国の南の方の習慣ではないかと思います(私の体験したかぎりですが)。また、香港など広東文化圏ではスープを結構重んじるようです。台湾人のクラスメートもそのようなことを言っていたし、中国の東北料理ではそんなにスープを飲むことはありませんでした。でもイギリスにある広東料理のお店ではスープがサービスで最初に出て来たりするお店が結構あります。

このスープ、ご飯の前に飲むせいか、味付けはたいてい薄いです。塩味の薄いお吸い物のような感じ。こういうコース料理では飲んでいる間に料理ができて運ばれてくる、という感じで、スープは日本のつきだしのような感じなのではと思います。

私の彼の家族がうちに来た時も、彼等はまず「味噌汁だけ」を飲んでから食事をはじめます。おいしくなさそうな感じがする&日本のマナーから言うとよくないんですけど…。

ちなみに延辺の朝鮮料理では、スープとご飯は一番最後です。お酒を飲みながらおかずを食べ、その後、一番最後のしめに味噌汁とご飯が出てきます。日本のおじやのような感じでしょうか。味噌汁は石鍋ごとでてくることが多いです。その味噌汁を各自のスプーンで直接すくって飲みながら、箸ではなくそのスプーンでご飯もすくって食べます。味噌汁をご飯にかけて食べることもあります。スープの飲み方も文化によって本当にさまざまだなあと思います。

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ヘバラギ…ひまわりの種をたべてみよう!

中国に行って驚いたものの一つは、「ヒマワリの種」。ヒマワリの種は朝鮮語で「ヘバラギ」、中国語で「瓜子」といいます。殻がついたまま塩水に浸し、大きな専用の釜(甘栗の機械をちいさくしたようなもの)で炒ったもので、結構おいしいです。私は結構好きでよく食べていました。

どんな味かというとナッツ系の香ばしい味。
学生達は味のついていないものを食べていることが多かったのですが、塩味、「五香」というスパイスの味、バター味のヒマワリの種がポピュラーでした。また北京では「北京風味」と書かれたヒマワリの種をスーパーで見かけましたし、洛陽の市場では「メロン」「チョコレート」「カレー」「バニラ」「チキン」「ミント」といろんな種類の味があり驚きました。好奇心のかたまりのような私は早速全部試食して見ました。いわれてみればメロンの味に似ているような…という感じの味でした。

食べ方にはこつがあって、片手で食べられるようになったらヒマワリ通です。

1.まず、側面のとがったところが上下になるように片手で持ち、歯で割る。
2.手で種を握りつぶすようにして中身を口の中に押し出す。

食べるのがめんどくさいのですが、結構暇つぶしになります。ちょうどタバコを吸うのと同じような感覚かもしれません。やることなくて暇だし、ちょっと一服…とヒマワリをかじる。のんびりした中国ならではの食べ物なのではないかと思います。

このヒマワリの種、結構ポケットの中に直接入れている人が多く、バスを待ちながらパリパリ・ペッ(都会ではあまり見かけませんが)、歩きながらパリパリ・ペッ、と、いつでもどこでもすごいスピードで食べていて、そこら中でヒマワリの殻を見かけます。冬は凍りついた道に落ちたヒマワリの種がすべり止めの役目をしているくらいです。

そうそう、私のいた大学では、学生達の机の中はヒマワリのからでいっぱいでした。まさか授業中に食べたのではないと思いますが…

そういえば特に私のいた東北地方は他の地方に比べてヒマワリの種を食べている人が多いようなきがします。寒くて果物がない、開拓者として来た農民が多かったところなので昔あまり食べるものがなかったので空腹を紛らわすためにヒマワリの種を食べていた、というせいではないかと私は思っています。

ところで、延辺の人の多くはヒマワリの種の食べ過ぎで前歯がヒマワリの種型に削れています。中国から来た人で、前歯のどちらか一方の歯の中心が少しかけていたら、その人は絶対ヒマワリの種好きな人だと思いますよ。

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中国人とお酒

中国人とお酒」 ①

中国での仕事で大変だったことの一つは、「飲み」です。中国のお酒と言えば「老酒」とか「紹興酒」とか呼ばれる茶色いお酒を思い出すかもしれませんが、中国で広く飲まれているのは「白酒」という38度以上のお酒。

同じ中国でも田舎に行くほど、そして北に行くほどお酒の重要性が増していくように思います。そう…中国の東北地方の辺境に位置していた延辺では言うまでもありません。週に一度は飲んでいました…

というわけではそんな延辺に住んでいた私のお酒についてのエピソードを何回かに分けて書いてみたいと思います。





延辺パラム27 「中国人とお酒 ②」
at 2002 06/09 06:13 編集

〈基本的なお酒の飲み方〉
注:中国は広いので地方によっても違いがあると思います


中国での宴会では、お酒を飲むときたいてい「乾杯」をしあいながら飲みます。日本のように一人でちびちび飲む、というようなことは許されません。

宴会でお酒が飲みたいな、と思うと、「他のみんなにそれじゃあ飲みましょうか」、というような感じでみんなを誘って飲むか、話の流れに沿って…たとえばその時来年の授業について話していたならば「それじゃ、来年の授業がうまく行くように乾杯しましょうか!」といった感じで乾杯し合いながらお酒を飲みます。

乾杯といっても日本のような乾杯ではありません。「乾」杯というのだから杯を乾かすくらい、つまり全部のみ干さなければいけません。始めて38度の「白酒」をおちょこで一気した時はのどがやけどしそうな感じがしました。

中国式の乾杯はたいてい一緒のテーブルの人が順番に音頭をとってするので、テーブルにいる人の分だけ乾杯をしなくてはなりません。学生50人のパーティーに呼ばれた時は、みんな順番に乾杯をしに来るので大変でした。ビールだったのでまだよかったのですが…

同じ中国でも南の方は、女性はジュースの乾杯でも許されるのだそうです。でも…延辺では「ここは中国ですよ、男女平等!」とのことでした。

さらに、同じ中国人でも朝鮮族は漢族よりもよく飲むのだとか。中国の東北の田舎の朝鮮族の街にいた私は2年間でずいぶん鍛えられました。


「中国人とお酒」 ③

今はすっかり香港人社会に混じって暮らしている私。残念なことに香港の人たちはお酒をほとんど飲みません。飲んだとしても本のすこし。決して酒飲みなわけではありませんが、一人がぶがぶお酒を飲むわけにもいかず、飲み友達がほしーい、と思うこともしばしばです。

お酒をあまり飲まないということは、みんなでパーティーをしても、ディナーがあっという間に終わってしまいます。(特に香港人は食べるのが早い!!!)そして、食後の「お酒片手にあれこれ語る」と言う時間もゼロなわけで、すごくつまらなく感じます。このあまった時間をどうすればいいのよ、という感じ。だからみんなその時間を麻雀に費やすのかしら。 

とにかく、「お酒飲んでだべる」ことが恋しいです。

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主食

中国人の主食は地域によって違います。詳しくはないのですが、大きく分けると南の方は米、北のほうは小麦です。

南の方では毎日お米を食べて、麺もお米で作った米粉(ビーフンのこと)が多いのですが、北では肉まんのような包子、皮だけの肉まんのような「饅頭」、肉まんの皮をきれいにお花の形にしたような「花巻」、「餃子」などの小麦粉で作った主食が多く、お米よりも「饅頭」がすき、と言う人が多いです。北京の人が炊飯器で何か作っているのをなんどかのぞいたことがありますが、なんと炊飯器で餃子をゆでていたり、炊飯器の上に蒸し器をのせて饅頭を蒸していたりして、炊飯器はそのためにあるのね!?と驚きました。もちろんご飯もそれで炊くのですが。

私は饅頭はあまりすきではないのですが、包子や花巻は結構好き。市場のはあまりおいしくないけれど、レストラン等で食べると本当においしいかったです。普通の小麦粉のもののほかに黒米や赤米を混ぜたようなものもあって、それも香ばしくてなかなかおいしいですよ。

また、西に行くと今度は小麦粉で作った麺(うどんのような)を食べる地域が多いようで、モンゴル族とかは麺食がおおいようです。さらにシルクロードあたりの地域になるとインドの「ナン」のようなものが食べられるところもあります。

さて、私の住んでいた延辺の主食はというと、漢族は先ほどの饅頭のような小麦食、朝鮮族はもちろん「お米」です。中国のお米って長粒種のパサパサしたタイ米のようなお米が多いのですが、延辺のお米は違います! 日本のお米と変わりません。冷たくなった時は日本のお米に比べるとまずいけど、炊き立てのご飯は日本のものと全く同じ味。いや、日本の標準米よりもずっとおいしいです。中国の東北地方のお米はおいしいと有名なのですが、その中でもピカ一だと思います。

なぜ他の地域に比べて東北地方、特に延辺のお米がおいしいのかちょっとふしぎだったのですが、たぶん戦争の名残ではないかと思います。植民地時代に日本人が持ちこんだお米のせいで、このあたりのお米が日本人好みのお米になったのかな、と。

さらに延辺には日本と同じタイプの納豆もあります。もともと朝鮮族も納豆を食べるのですが、朝鮮族の納豆というのは粘りのないパラパラしたタイプの納豆で、味噌汁などに入れて食べます。が、延辺には植民地時代に日本人が残した納豆工場があるとかで、なぜか日本と同じ粘りのある納豆もスーパーで売られていました。納豆はもちろん、のりも、さらにキムチもあるので、考えてみると中国にいながら本当に幸せな食生活でした。

さて、このご飯ですが、朝鮮族の人はよくお米以外のものも混ぜてご飯を炊きます。粟か稗かわかりませんが、ご飯に黄色の小さな穀物が入っていたり、赤米が入っていたり、小さな緑頭やひき割とうもろこしなどが入っていたりします。日本だったら高いですよね、そういうふうにしてご飯を炊くと。でもこちらでは安いので、私もよくご飯に赤米や粟(ヒエ?)を混ぜて炊いていました。

ところで、今はイギリスにいる私ですが、イギリス人の主食は…というと、ジャガイモかパンかパスタでしょうか。でも私は毎日ご飯炊いてます。でも、使っているのはタイ米、しかもお米が砕けて小さくなってしまった激安米を食べています。このことを韓国人や日本人にいうと、「えー、よくそんなまずいお米で耐えられるね!!!!!」といわれますが、慣れれば平気です。

ただ、日本米を口にしてしまった後が大変。一度日本料理を食べにいき、次の日、家でご飯を食べたのですが、タイ米を一口食べた後、すごく変な感じがしました。「……味がない……
。」はじめどうしてかわからなかったのですが、しばらくして、ああ、そういえば昨日二本米を食べてしまって、味覚が日本米モードになっていたんだった、と思い出しました。それくらい味が違ってかんじました。

でも最近はタイ米に慣れすぎてしまったのか、真空パックの、レンジでチンするインスタントコシヒカリをもらって久しぶりに日本米を食べた時、「なにこの粘りは!!? もちごめ????」と思わずびっくりしてしまいました。粘りが強すぎて変な感じがしてしまったのです。わたしのお米の感覚もだんだん、中国南方&タイ人に近づいてきているのかも。

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中国の病院①

外国に住んでいて、一番困るのが病気になったとき。言葉が不自由だったり、勝手が分からなかったり…。私も中国での2年間、病院ではほんとうにいろんな経験をしました…。今回は北京の病院での思い出です。

中国での病院初体験は、北京にある日中友好病院でした。
これは日本の支援でできた病院だったかな? 
日本で研修を受けた先生や看護婦さんが多く、中国で日本語で診察を受けられる病院でもあります。見た目も中も日本の病院とあまりかわりません。中国の青年海外協力隊員が非常にお世話になっている病院でもあります。隊員達はここで年に2回、予防接種やら身体検査を受けますし、大きな病気になったときもここに運ばれてきます。医院長は、終戦後自分の意思で家族と別れて中国に留まり、文化革命に参加されてい(元?)日本人女性。当時女学生だったというので、今で言うと高校生くらいでしょうか? その時期に家族と別れて中国で一人生きていくことを選んだというY院長先生は、その強さがにじみ出ている感じがしました。

年に2回ある健康診断ではその医院長先生に診察をしていただけるのですが、実は私、初めてその先生と会った時のことが忘れられません。

その日はヨウ先生と、私達新しく中国に着いたばかりの隊員たちとの顔合わせの日。事務所近くのホテルで、北京料理を食べました。めての本格的な中華にちょっと緊張気味の私。まずはじめに自己紹介があったのですが、その時一番に自己紹介をしなくてはいけなかった私はどんな自己紹介をしたらいいのか困ってしまい、お医者さんの前での自己紹介だから、と、
「緊張すると胃がいたくなることがあるので、初めての中国生活と、初めての教壇での緊張で、胃が痛くなりそうで心配です。」
と言ってしまったのですが、隊員全員の自己紹介後、Y先生に一喝されてしまいました。

どんなことを言われたのかはっきり覚えていませんが、「緊張して胃が痛くなるといっていた人がいたけれどそんなことくらいで胃がいたくなるなんてこれからどうするの!?」みたいなことをぴしゃりと、かなりきつく言われました。赤面すると同時に「そんなにきついこといわなくったっていいじゃない!!」とむっとしたのを覚えています。
「やっぱり中国に長いこといるとこの先生みたいにきつくなるのかな!?」とも思いました。

でも不思議なことにこのY先生の一喝、その後の私を支えてくれる一喝になりました。それまでだったら緊張して胃が痛くなってしまいそうな場面でも、私の胃はびくともしなくなったし、初めての授業も堂々とできたので。不安になったときも、あの時の先生の一喝を思い出すと、「よし、頑張るぞ!」という気持ちが沸いてきて、結構緊張を吹き飛ばすことができたのです。どんな薬よりも強力な薬をもらったような気がしました。

…Y先生にはその後、身体検査のたびに診察していただきました。
もちろん私にそんな一喝をしたことなど覚えてはいないと思います。延辺へ赴任した後、初めての身体検査は、風邪をひいてふらふらの状態で受けました。その時は地元の病院でもらった薬で大丈夫か不安で、もらった薬のパッケージまで持ちこんで診察していただき、
「この薬をもらったのね? この薬は結構有名な薬ですよ。大丈夫。」と太鼓判を押してもらい、とても安心したのを覚えています。初対面の時は強くてきつそうに見えた先生が、とてもやさしい女性に見えました…。
 
*追記:SARS報道で友好病院のニュースをきいて驚きました。これ以上被害が広がらなければいいなと思います。
そうそう、そのニュースで知ったのですが、今は医院長先生も変わっているみたいです。

*追記2:Y先生、今は空の上の方になってしまいました。

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中国の病院②

「中国の病院② 風邪⇒即点滴」
at 2003 05/07 23:28 編集

室内は20℃、室外は-20℃という過酷な環境のせいか、延辺滞在中、冬はしょっちゅう風邪をひいていました。普段は日本から持参した風邪薬を飲んで直すのですが、何日も熱が下がらなかったり咳が伴ったりすると、仕事に差し支えるので早く直したいという気持ちもあり、病院へいって先生に見てもらっていました。それに、中国の風邪には中国の薬のほうが効くようなので。

幸い、私が住んでいたアパートのお隣は中間合資の病院でした。韓国の援助でできた病院で、延辺で一番いいといわれている病院(コンクリートみきだしの殺風景な内装)より、内装が少しきれいで、人も少ないのであまり並ばなくてもいいのが魅力。また、韓国人の専門家の先生がいらっしゃいます。高いので私はいつも中国人の先生に見てもらっていましたが…。

そうそう、もう1つ延吉の病院には特徴があります。日本語を話せるお医者さんが多いということ! これはすごく嬉しいです。熱で頭がもうろうしている時に中国語を話すのは大変なので。私の通っていた病院でも多くの先生が日本語を流暢に話せましたし、延辺1の病院には、日本で研修したことのある看護婦さんやお医者さんがおどろくほどたくさんいます! そんなわけで北京の日中友好病院で診察を受けるのと同様、運がよければすべて日本語で診察が受けられました。


初めて病院へ行った時はドキドキでした。日本の病院とは違った病院の雰囲気があるし、本当に診察、ただしいのかなと思って。

どんな風にお医者さんにみてもらうかというと、受付で診察料を払い、問診表のようなものをもらいます。その後、診療室へ。その病院では「Xingziさーん!」なんて看護婦さんが呼んでくれたりはしないので、診療室のドアをノックします。(いきなり開ける人も多い!!)そして中に患者さんがいたら出てくるのをまつという感じ。ついたてで中が見えないようになっているわけではなかったので、運が悪ければ診察されている姿を見られることも! さらには、ドア全開のまま診察しようとした先生もいて、「中国人は裸を見られても平気なのかな!?」とショックでした。

私はもちろん嫌なので、「ちゃんとドアを閉めて診察して!」っていうのですが、ノックもせずいきなり入ってくる患者さんがたまにいるのでどきどきでした。(幸いいつも見られることなくすみました!)

さて、体温や心音等を調べて毎回先生が下す診断は、「風邪、点滴と薬ね!」でした。はじめは「そんなひどいかぜだったの!?」とびっくりしましたが、私のいた地域では、風邪をひいたらすぐ点滴を打ってもらいうのがふつうのよう。学生もよく、「風邪をひいたので点滴を打ちに病院へ行きます」なんて言っていました。(あまりいい治療法ではないという話もありますが、確かに点滴を打つとすぐ熱が下がり、病状もよくなります。)

そんな風に簡単に点滴をうつせいでしょうか、中国の病院には「点滴室」というのが必ずあり、大勢の人がうえから点滴を下げて座っています。みんな打ちなれていて、点滴の瓶が殻になると、自分でぷすっと針を抜いて帰っていきます。つわものは、右手に点滴を掲げたままタクシーで帰っていったりも! 

今考えると、風邪くらいではお医者さんが診察してくれないイギリスとは違って、ずいぶんいきすぎた治療だったような気もします。

そういえば、病院だけでなく、薬屋さんもすごかったです。「当店オリジナル処方風邪薬」なるものを売っている薬屋さんもいて、いったいどんな薬かというと、…いろいろな風邪に効く薬を独自に組み合わせて売っていたのではないかと思います。中には8種類の薬一セットがそれぞれ包まれたものを持ち出し、「当店オリジナルの処方の風邪薬、これ全部を食後に飲めば風はイチコロです!」と売っている店もあり、素直にそれを飲んだある日本人の先生は、「薬を飲んでから私、すごくハイなのよね。なんか、ちょっと私、やばいかも…」と言ってました。

8種類は中国でもすごいとおもいますが、中国の人たち、結構ガンガン薬を飲んでいたような気がします。

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中国、普通(???)の美容室編

中国で初めて美容院を体験したのは、赴中後半年目のある日。学期が終わり、ほっと一息、気分転換に髪を切りたいな、そして、中国の美容院というのを体験してみたいな、と思い、とりあえず、住んでいたアパートの管理人Dさんにどこの美容院がいいか聞いてみました。

Dさんの話では、延吉市の一番の繁華街である西市場周辺の美容院ならどこでもOKだということ。しかも彼女が付いてきてくれるということだったので、思い切って西市場周辺の美容院を試してみることにしました。

Dさんと西市場周辺の美容室をのぞき、「ここならだいじょうぶでしょう」というDさんの言葉を信じ、中へ。茶髪のロングヘアのだるそうな表情の女性美容師3人が働く美容室、料金はたしか20元ほど。今のレートをはっきり知りませんが、約300円でしょうか。西市場ではなく、郊外なら高くても10元くらいだと聞きました。

座ると、首にタオルをかけられ、早速ブラッシングからスタート。タオルは、薄黒くなっています。気になりましたが、延吉市の暖房用に使われている石炭のせいで、外に干しただけでもすすがついて黒くなっていき、洗濯しても取れないので、仕方がないでしょう。その後髪の毛を頭のてっぺんに集めると、頭のてっぺんに何か液体がかけられました。かけられた液体はシャンプーと水をまぜたもののよう。美容師さんはごしごしとそこを「つめを立てた手で」あわ立ててシャンプーしていきます。がり、がりとほんと、「ミミズばれができてしまいそう」に痛いです。こんなふうに座って頭を起こしたまま、つめでがりがりと洗うのは中国式のシャンプーの方法らしく、どこでもそうすると言われました。

苦痛に耐えながら我慢すること1分、次は立つようにと美容室のお姉さんの指示。 たってお姉さんについていくと、着いた場所は洗面所。そして彼女が一言。

「洗ロ巴(洗って)!」

どうやら、自分でシャンプーを洗い流してといっている様子。シャンプーの時点でかなりショックを受けていた私は、もう驚きの感覚が麻痺。いわれるまま、真冬の1月(外は-20℃)、冷たい水で、しかも自分でシャンプーを洗い流しました。日本の美容室が心から痛切に恋しくなりました。

その後のカットは、はさみの切れが悪く何度も痛い思い(切るときスーッと切れず、ジョリッという音とともに、髪の毛が引っ張られ痛かった)をしながら進みましたが、何しろ長い髪をただそろえるだけだったので、特に何も問題なく、きれいにブローしてもらって終わりました。

帰り道、値段は5倍くらいしても、次は北京の日系美容室にいこうかな、としみじみ思いました。

追記:延吉ではありませんが、中国のとある片田舎で散髪をしたとある男性は、シャンプー後、「あそこの川で流してきな」といわれたそうです。「いやー、あれはなつだったからね」と本人は言っていましたが…

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中国・山野美容室編

普通の美容室へ行ってちょっとショックを受けた私は、次に髪を切るときは北京で、と思っていました。が、延吉に日本で学んだ美容師がいると聞き、これは行って見なくては! とその美容室へ行くことにしました。

お店の名前は「山野美容室」。なんでも日本の山野愛子美容院で勉強して延吉に戻り、山野愛子の「山野」を使うことを許されたという美容室らしく、オープン当初に行った人たちは、日本語の上手なその美容師に髪を切ってもらったと教えてくれました。また、延辺では女性用の美容師といたら普通女性がなるのですが、その美容室はスタッフがすべて男性ということで、少し変わっているということでした。 

早速勇気を出して行った山野美容室。延吉中心の西市場そばにあります。お店に入るとすっきりして広々とした店内に、韓国のヒットソングが流れています。美容師の男性たちも、延辺風に垢抜けた人が多く、黒っぽい服装の人が多かったです。

値段は以前行った美容室とあまり変わらないのに、サービスはずっと上。お湯がつめたいのが気になりましたが、シャンプーはいすの上に寝そべっていれば洗ってくれます。できばえは日本の美容室ほどではないですが、以前の美容室よりはかなりよく、ほっとしました。

一緒に行ったロシア人のアンナ先生は大絶賛。ロシアよりずっといいとのことでした。

こんな中国の片隅で日本で学んだ美容師に会うなんておどろきましたが、これも日本への留学生の多い延辺だからだと思います。今度からここできるぞー!と思っていたのですが、この山野美容室、私が延辺にきて一年でなくなってしまいました。理由はわかりませんが、ある日突然なくなってしまいました。

そして私はまた、普通の美容室へ行くことに・・・

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田鶏=カエル

田舎だからでしょうか、延辺は結構カエル料理がポピュラーでした。田舎に限らす、中国全体でポピュラーなのかもしれませんが…。特に汪清県のカエルは延辺で有名でした。足を食べるというのはよく聴く話だと思いますが、こちらでは丸ごとなべにします。そして丸ごと食べます。なべの中に何十匹ものカエルがいるというのは想像しただけで恐ろしいですが…

ちなみにカエルのシーズンは春。なぜかというと、秋などのカエルは食べた虫がおなかの中にいるからだとか。そして春のカエルはおなかに卵があるのでおいしいのだそうです。冬眠してるのを掘り出して食べるようです。

幸い私は2年間カエルなべを食べずにすみました。カエルはたべましたけどね。

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虫歯になったら・・・!?

中国行きが決まったあと、私の歯科医がよいが始まりました。(数回通っただけですが)青年海外協力隊の決まりによると虫歯を完全に直さないと派遣してもらえないからです。途上国での歯の治療は時として危険です。不衛生な器具から何らかの病気に感染するかもしれない、近くに歯医者さんがないかもしれない、そんなわけで治療しておかなくてはならないのです。

そんなわけで誰もが派遣前・・・いえ、派遣前の事前研修前に歯科医通いをします。親知らずを抜いていく人もいます。私も親知らずを抜くかどうか歯医者さんといろいろ相談したのですが、歯医者さんの、「まあ、中国だったら、漢方薬で二年がんばってもいいかもしれません」という無責任なアドバイスで抜かないことに決めました。おかげで一本あった私の親知らずはいまだに健在、中国滞在中、渡英後、一本ずつ生えてきましたが、まったく問題なく今に至っています。

さて、今日は実際の中国での歯医者さん体験を。歯医者には北京で一回、任地延吉で一回かかりましたが、北京のような大都市ではあまり日本と大差ないような歯医者さんがありました。

任地の延辺では、2001年当時、まだ青空歯科がありました。場所は水上市場の下。折りたたみいすに、汚れた白衣を着て座る歯科医。その前にもうひとつの折りたたみいすと、地面に広げられた汚れた布の上にはペンチやら口内鏡、その他の歯医者さん道具が並べられています。実際治療をしている場面は見たことがありませんが・・・はじめてみたときはかなりショックでした。

もちろん私が歯科医にかかったときはそんな歯科医にはかかりませんでした。延吉にもきちんとした歯科医がありました。そのひとつが、カナダ系の歯科医が開いているという「ノーブル歯科医院」。歯の詰め物が取れてしまい、困っているときに同僚の先生が教えてくださいました。

詰め物をかぶせるだけだから、とどきどきしながらいったノーブル歯科医院は、中も清潔で安心。私を見てくださった歯科医の女性は、なんとカナダへ移民してカナダで勉強したという韓国系カナダ国籍の先生。どうして延吉に来たのか、などお互いにいろいろお話した後で詰め物をまたかぶせてもらいました。(簡単にかぶせておくだけだから日本に帰ったらもう一度ちゃんと治療するようにともいわれた)

治療後、お金はいくらか聞くと、「あなたは日本から来て中国のために仕事をしているかただから、治療費は要らない」ということ。彼女も半分ボランティアのようなチャリティー精神で延吉で仕事をしているとのこと。同志だからとお金は要らないと言われました。

不安いっぱいでいった中国の歯医者さん。その先生の暖かい心は今でも忘れられません。

でもそれにしても、青空は医者さんからノーブルのような歯医者さんまで、本当に中国の歯科治療はさまざまです。お金があればいい治療を受けられるけれど、なければ命がけ(?)で青空歯医者に行かなくてはいけません。複雑な気持ちがしました。

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秋…テントウムシの季節


何月ごろかは忘れてしまったけれど、秋、薄いコートが必要になってくるころ、延辺の街には大量のテントウムシが飛び交い始めました。歩いていると、服にテントウムシがたくさんついてくるから、初めてみた時は本当にびっくり。

越冬用の場所を探して飛び始めるみたいで、あまりにも大量のテントウムシが飛び交うので、その間は窓をあけられませんでした。窓を開けっ放しにしていた学校の職員室にはテントウムシがいっぱい飛び込んできて、2重窓の隅っこや本棚の端っこにテントウムシがたくさんもぐりこんでいました。

テントウムシに悩まされる日々は1週間くらい続いたように思います。それが終わるとどんどん冬に向かって寒くなっていったような…

それにしても、テントウムシが大量にとんでいるのって日本ではみないですよね? 日本はゆっくりと冬になっていくので、テントウムシもいそいで越冬地を探す必要がないのかもしれません。

秋のように一斉にではなかったようにおもいますが、長くて厳しい冬が終わると、テントウムシは再び新緑の世界へ飛び立っていきます。秋、服にまつわりついてくるテントウムシはイヤだったのですが、春、テントウムシを見つけると本当に春が来たんだな~なんて嬉しくなりました。

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命の水

中国にいたころ、「水」には苦労させられました。水の質には地方差があるので、中国全部がこうというわけではありませんが、中国での突然の停水や、何日か置いておくとなんだか沈殿してくる水には驚きました。洗濯物はだんだん茶色くなるし、お風呂のお湯はなぜか薄茶色...。そんなわけで、飲食用には大きな蒸留水ボトルを宅配してもらい、その蒸留水を使っていました。

家の水が止まるのもつらいですが、学校の水が止まっているときはなんともつらかったです。トイレの水が流れないんですもん。それに手も洗えない!

ちなみに学校のトイレは原始的な水洗トイレ。深くて細長ーい溝が便器代わり。その長い溝が壁とドアで区切られていて、そこをまたぐ形で用を足します。水は、定期的にその溝の端から流れるようになっていて、すべての汚物が流されてきて、溝の一番端にある穴から下へ流されていくしくみ。水が流されるタイミングに一番奥のトイレに入ってしまうとたいへんです...。汚い話ですみません。

でも考えて見ると、普通の水洗トイレより、こういう原始的な水洗トイレの方が停水につよいのでいいかもしれません。だって、穴が長くて深いので1日くらいは汲み取りトイレ式に、あふれずに持ちますもん。きたないけど。

さて、時々停水するくらいだったらまだいいのですが、延辺では高層アパートの上階に住んだ場合、ほぼ毎日停水していました。水圧が低いので、上階に行けばいくほど、多くの人が水を利用する時間帯には水がでなくなってしまうのです。

たとえば、隣町に住んでいた日本人宅では、たしか1日数時間しか水が出ませんでした。水が出る時間のあいだに水を汲み置きしておき、それをトイレの水等に利用していました。まさに人動水洗トイレ! シャワーも水が出るあいだにしかはいれません。洗濯も、水が出るあいだにしかできません。

そんなわけで、わたしの住む町では、アパートを選ぶときは水が1日何時間出るか、が重要なポイントになっていました。

ただ...中国だから不便、と言ってしまいがちですが、実はわたしの祖母の家でも同じ問題がありました。村の高台にある祖母のうちでも、水圧の問題で、近所の人が水を使用する時間帯になると水が止まります。お風呂にはいつも非常用に水がためてある桶がありました。


なんだかまとまりのない文章ですが、蛇口をひねればすぐきれいな水が出る生活って、本当に便利で幸せな生活だなーと思います。

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田舎で飲む

今日は、私が中国に赴任してすぐあたりの日記を載せてみました。
1999年9月

9月13日から学校も始まり、生活にもはりが出てきました。
授業は週4コマ8時間と楽です。でも、授業以外の苦労がいろいろ…。

授業以外の苦労の一つに、「白酒一気」があります。38度のお酒をストレートで、おちょこ一杯分一気しなくてはいけません。まだつぶれたことはないものの(暴れたこともない!)、カンニングの技を磨かなければ、2年の間に肝臓をやられてしまいそうです。

そうそう、このあいだは郊外へ飲みに行きました。延吉市郊外は、なだらかな丘陵地帯で、福島県二本松の青年海外協力隊訓練所周辺の景色によくにています(とわたしは思う)。青く澄んだ空の下緑が広がり、その上道の両側に花が咲き乱れていて(今はコスモスが多いです)、なんか感動してしまいました。

ついたところはオンドル(朝鮮式床暖房)小屋が建ち並ぶ小さな集落。この日は新卒の韓先生が先輩の先生達を犬肉料理でもてなす、という飲みでした。韓先生のご主人と両親まで来ていて、聞こえる言葉はすべて朝鮮語。K先生の家族はそれぞれ、白酒片手に「さ、ぐ~っといっぱい!」と席を回ってきました。こちらではちょびちょび飲むなんてゆるされません。

途中トイレに行こうと席を立ったのですが、街灯がないのでそとは真っ暗。暗くてよく分からないのでK先生にトイレまでついてきてもらいました。うわさの、かべ(しきり)のない集落の共同トイレを体験するのかと思っていると、トイレの前を通り過ぎ、「じゃ、先生、ここで一緒にしましょう。共同トイレは暗いし、落ちたら大変です。」とK先生。ほろ酔い気分の私は言われるままに、星空の下、道端で野トイレを初体験したのでした。



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延辺の朝ごはん

中国の人はよく朝ご飯を買ってきて食べるようで、朝早くからにぎやかです。どんなものがあるかは地方によって違うので旅行するとその土地の朝飯が食べられるので楽しいですよ。ちなみに香港では朝ご飯によくラーメンを食べるようで、香港で朝ご飯のセットを頼んだら、

「イングリッシュティー&トースト&インスタントラーメン」

が出てきて目が点になったことがあります。

そうそう、中国や香港ではインスタントラーメンも立派なメニュー。香港でインスタントラーメンやさんにいった時はびっくりしました。マークシート方式で具をマークシートに記入してお店の人に渡すんですよ! イカ団子とか海老とかチェックして。マークシートといっても、読み取りを機械でするわけではありませんでしたが…

私も延辺にいたころは授業が始まるのが8時ということもあって、よく外の屋台で朝ご飯を買ってました。中国では朝ご飯に「トースト」を食べる習慣がないので、パンは高いしトースターも手に入らず、朝ご飯を作るのが面倒だったので。うちの近くで売っていたのは

「茶蛋」いろいろなスパイスと一緒にぐつぐつ煮た味付け卵
「油条」小麦粉で作った細長くひねったものを油で揚げたもの。油揚げをさくさくさせたような食感?
「豆乳」
「おかゆ」東北のものは香港のものと違って味がない…。緑豆や粟のような穀物のおかゆもある。
「豆腐脳」スープでゆでた柔らかい豆腐に香菜、唐辛子などのスパイスを混ぜた醤油をかけたもの、
「包子」肉まん。
「花条」(←ちょっと漢字間違ってるかも…)肉まんの皮だけのようなもの。
「焼餅」なんだろう。平たい小麦粉で作ったパンのようなものに餡が入っているようなもの。焼いてある。

でした。
ちなみに油条は豆乳と一緒に、包子や花条はおかゆと一緒に食べている人が多かったです。

そうそう、そういえば学校の前で売っている油条はその場で作るのではなくて、朝家であげたものを学校まで持ってくるようで、冬にはメニューにありませんでした。なぜかというと、「持ってくる間に凍るから」。秋に油条を頼むと、たまに凍ってシャリシャリしてました。

さて、上に上げた朝ご飯は東北地方の漢族の朝ご飯です。朝鮮族はあまり外で買って食べたりしないようで、しっかりご飯と味噌汁の朝ご飯を食べるようです。

そして…他の場所ではどうか分かりませんが、

「延辺では朝ご飯に招待される」

ことがあります。どうして朝ご飯なのか分かりませんが… そして、「朝からお酒」しかも「白酒」ということも珍しくありません。
晩御飯ほど豪華でなくていいということで昼ご飯に呼ばれることがありますが、朝ご飯はさらに昼ご飯ほど豪華でなくてもいいからなのでしょうか? それとも一緒に朝ご飯を食べるというのはもっと家庭的な感じがするので親しい人をよぶのでしょうか???

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S先生の親戚探し

別の学部で教えている韓国人のS先生は、第2次世界大戦中に日本語教育を受けたということや、日本の大学に客員教授(?)としていたことがあるそうで、日本語お上手でした。その先生は生まれ故郷が北朝鮮の町だということで、延辺にも親戚がいるはずだと延辺滞在中親戚探しをしていたのですが、ひょんなことからその先生の親戚探しのお手伝いをしたことがあります。

助けたといっても、ある日いつものように先生が私の部屋に遊びに来て、「私の学部の中国人の先生の中に、S先生と同じ苗字を持つ「○×△」という先生がいらっしゃると聞いたのだけれど、その先生が親戚かもしれない、学部の先生に聞いてみてくれないか」、と頼まれたので、学部の先生に聞いてみただけなのですが…

結局S先生の探していた「○×△」という名の先生は学部にいらっしゃらなかったのですが、同じ「○」と言う苗字を持つ学部の先生に聞いてみたところ、なんと、S先生のおとうさんの友人ではないかということになり、無事探し出すことができたのです。

無事にその方が見つかって私もとても嬉しかったのですが、その後親戚とはいっても日本人からするとはるか遠い親戚だと知って驚いてしまいました。なんでも韓国では先祖代々の家系図が今でも作られているそうで、何代も前まで先祖を遡ることができるそうで、
S先生は戦後離れ離れになってしまった同じ先祖を持つ親戚を探していたそうなのです。

その後、ある晩、共同の台所で先生に会った時、あるものを見せてくださいました。
「Xingziさん、みてください。おかげで、こんな貴重なものが見つかりました。またたくさんの親戚がみつかりましたよ。」」
という先生が手にしていのたは、黄ばんだ1枚の紙。昔の家系図でした。

S先生の話では、中国の文化革命の際、中国にすんでいる朝鮮族は、先祖代々大切にしていた家系図を捨てなくてはならなくなったのだそうです。その際多くの家族が家系図を焼き捨ててしまったのだそうですが、中には地中深く埋めるなどして隠し、なんとか大切に守っていた家族もあり、その家系図もそうして大切に守られていた家系図なのだそうです。
そんな大変な歴史が延辺にあったとは知らなかったのでただただ驚くと共に、嬉しそうな先生の顔を見て、役に立てて本当によかった、と思いました。

でももっと驚くことがあったのです。

先生はただ親戚を探しているだけではありませんでした。

家系簿をしまいながら先生が一言、
「この親戚たちが私の母のことを知っていたらよかったのですが…」
とおっしゃったのです。一体何のことだろうと思って聞いてみたのですが、先生は戦争中(朝鮮戦争かな??)にお母さんと離れ離れになってしまったということでした。

その後先生のお母さんと連絡が取れるはずもなく、ひょっとしたら延辺にすむ親戚の中にS先生のお母さんのことを知っている人がいるかもしれない、と、そのこともあって親戚探しをしているそうでした。もうなくなっているだろうという自分の母が、わかれた後どうしていたか、いつなくなったのか知りたい、お墓参りをしたいという先生。このS先生のような家族が韓国にはまだまだたくさんいるのだとおもいます。

私にとって戦争なんてずうっと昔の悲しい出来事のような気がしていたのですが、ちっとも昔の出来事ではないのだなと気づいた出来事でした。

=============
あとがき

先日こちらの日本人の会で、韓国についての講演を聴くきかいがあり、その講演をきいて、なんだかこのときのことをとても思い出しました。その講演の中で印象に残ったことはいろいろあるのですが、その中のひとつに、
「どうして日本ではなく韓国がぶんだんされたのか?」という話がありました。
ドイツは戦争に負けて東西に分断されたのに、
なぜ日本は戦争に負けたのに分断もされずにすみ、なぜ韓国が分断されたのか、これはよく韓国で言われていることなのだそうです。
今まで考えてみたことがなかったのですが、
本当に日本が分断されていてもおかしくないですよね。
朝鮮半島での悲劇は、本当に他人事ではないのだと強く感じました。

話がかわりますが、韓国では親戚であつまるというと、平気で10親等くらいまであつまってしまうそうです!! 私が知っているのって、何親等くらいまでかな…その半分の5親等もしらないかも。

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中・朝・露の三国国境へ!

防川


中国は今(2000年10月当時),国慶節(建国記念日)のお休みで,私は8連休中です。旅行に行こうともおもったのですが,授業で疲れていた私は,結局延辺でのんびりすることにしました。たまっている仕事やメールの整理や仕事,朝鮮語と中国語の勉強でもしようかなと思っていたら,長春,ハルピンから隊員たちが延吉に遊びに来るとのこと。そこで,彼女たちと延辺隊員,そして延吉に残っていた日本語教師仲間とで,私もまだ行ったことのない延辺州琿春市内の中・朝・露,そして日本海の一望できる「防川」というところへ行って来ました。

琿春はこの夏やってきた新延辺隊員の1人がすんでいる街で,ロシアとの国境にあり,延吉からバスで2時間程度。週3回くらいロシアからの買い物客が押し寄せる国境の街です。結構大きい街でしたが,人がまばら…。よく見ると,お店はところどころつぶれていたりもして,ちょっと閑散とした感じもしましたが,すっきりした感じの街で,結構住みやすそうな街でした。ロシア人の姿を見かけると,本当に国境へ来たんだなーと感じました。

琿春へは延吉からバスで2時間ちょっと,河の向こうに北朝鮮の街をながめなから,わいわい琿春のT隊員のうちへ押しかけました。琿春から防川まではT隊員のチャーターしたミニバスに乗っていきました。道が最悪なのでバスで2時間半くらいかかります。でこぼこ道も大勢で騒ぎながらだったのでなかなか楽しかったです。実は防川は未解放地区なので外国人は許可なくはいることのできない地域。運転手さんに,「関所では日本語をしゃべるな!」と言われて,中国人のふり(?)をしていきました。(といっても,ほとんどバスの中にいるから関係ないのですが。)

防川はちょうど,マレー半島のようなかたちをしていて(たしか),川の向こうに北朝鮮,柵の向こうにロシア,この2国に挟まれているといます。とすごーく細長い地域でした。そしてその先端つまり本当に中国の端っこに丘があります。わたし達はそこまでバスに乗って行きました。ここは「鶏鳴聞三国,狗吠涼三彊(鶏が鳴けば三国に聞こえ,犬が吠えれば3つの国境が(だれか入って来るのではと)驚く)」という言葉がある(らしい)くらい近くてびっくりしました。ロシアのお百姓さんが柵の外で農作業をしているし,北朝鮮の人は川で魚を釣っているし,中国の端っこの向こうにロシアと北朝鮮を結ぶ鉄道が見え,その向こうには日本海もはっきり見えました。私は国境よりも、一年ちょっとぶりに日本海(韓国、北朝鮮の人は東海と呼びます)が見えたのがすごく嬉しかったです。

その丘から日本海までは15キロくらい離れているのですが,ずーっと平らな湿地帯というか砂浜が広がっているので,海岸線がきれいに見えます。私の中での日本海は,鳥取県の砂丘の向こうに広がる日本海ですが,こちらはずーっと平らで真っ白な砂浜が広がり,その向こうに青い日本海が見えました。鳥取の砂丘もすごいけど,こちらの砂浜の方が広くてすごいなー、なんて感動してしまいました。

防川に行く途中の景色もすごくよかったです。右手は北朝鮮との国境の川だったのですが、左手は途中から砂地に、そしてところどころ砂山になりました。ちょっと鳥取の砂丘週辺の風景に似ています。ただ,砂丘に草や木が生えていて、緑の砂丘です。鳥取の砂丘は,江戸時代後期(たしか)くらいから開拓されて,今はラッキョウ畑や葡萄,タバコ畑になっていて,砂が剥き出しになったりしているところが多いのですが,こちらは手付かずの砂丘です。開拓前の鳥取はこんな砂山が広がっていたのだろうな,と思うと、タイムスリップしたような不思議な感じがしました。

本当は外国人が入ってはいけない場所なんですけど、防川,よかったです。あそこの海でおよいだらめちゃくちゃ気持ちいいだろうな!! もっと近くで海を見たかったです。
そうそう,防川へ行ったことは、協力隊事務所には内緒にしておいてくださいね。

楽しいお休みも残り2日。あとはたまったメールや雑用の片付けで終ってしまいそうですが、いい思いでができました。いろいろ手配してくれた琿春のT隊員に感謝!

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和龍と龍井へ

1999年 11月5日の日記より。

今週は北京から調整員がやってきました。彼女は延吉市内の隊員の配属先を回る以外に、来夏延辺へ派遣される5人の新隊員の赴任先をまわるとのこと。私も授業のなかった木曜、調整員や先輩隊員とともに、その新隊員の赴任予定地、和龍、龍井の2箇所へと行ってきました。ゆっくり街をみる暇はありませんでしたが、それぞれの街で、白酒(ばいちゅう)を一気しながら町の先生方とお話しました。

はじめに行った和龍は、北朝鮮との国境にある朝鮮族の聖地、白頭山(中国名:長白山)観光の途中に通る町です。

訪問先であり新隊員の赴任予定地でもあるのはもちろん朝鮮族の学校。元日本語の先生だという校長先生たちが出迎えてくれました。日本語組の先生たちは、もう50近いアズマイ(延辺朝鮮語でおばさんの方言)たち。協力隊について日本語を交えて説明したところ、先生達は調整員の、「おわかりいただけましたでしょうか」といった丁寧な敬語に感激! そんなやわらかい言い方は自分たちにできない、私達もそんな丁寧な言葉を話してみたい、と言い出したり、説明の途中で日本語についての質問がどんどん飛び出したりと、ほんとに勉強熱心。ここなら隊員が来ても大丈夫、と思った私達でした。

その後、その学校関係者達と昼食を食べました。コートを脱いだ調整員と私の服装をみて、「日本人も中国人とおなじ服を着てる」と驚く先生達。これには驚きました。そして、校長先生から更におどろきの発言。「いやあ、昨日、『今日協力隊の人が来る』と連絡を受けて、てっきり今日うちの学校に新しい隊員がくることになったと思って、慌てて朝、部屋を準備したんですよ。その上、一男一女が来るというじゃないですか! 部屋が足りないと、びっくりしましたよ!」

…そんな急に来るはずないですよね。それにしても「あれ? 今日来るのか。」なんてその当日に平気で準備しちゃうなんて、中国らしい…。(そうです、いつでもそうなのです。中国では「計画」はなきに等しいのです。ときどき立てるだけ無駄なような気もしてしまいます。)校長先生達は早くても来年の8月だときいて、ちょっとがっかりしていました。

午後行った龍井は延吉にも近く、井戸から龍が生まれたという朝鮮族の伝説の地。この町にある高校にも来夏青年海外協力隊の隊員が赴任することになっています。日語組の教研室へいくと「あれ、Xingzi先生」という声。なんと延辺大4年生の学生が教育実習に来ていたのです。びっくりしました。

学校の様子や学校からの要請についていろいろお話した後、今度はこの学校の関係者と夕食&白酒しました。このとき私の席は、中国でいう教育委員会の主任のとなりでした。なんでも主任の息子は日本に留学中で、東京の語学学校で勉強しているとのこと。「うちの息子は30分かけて学校へ行って、その後遅くまでバイトをして、寝る時間が5時間しかないと言うんだ。」という主任の息子の話をいろいろ聞きました。

 結局私はずーーーっと宴会の間中主任と話していました。途中、主任はいきなり、向こう側で話しをしていた先輩隊員に「おまえの髪は青くしたことがあるか」とききはじめました。「息子の髪はねえ、日本から帰ってきたとき、青色になってたんだよ!!」とか、「うちの息子は日本から帰ってきたとき、色あせたTシャツに、横に筋みたいにあなの開いたジーパンをはいて帰ってきたんだよ。慌てて新しい服を買ってやったよ。服くらい買えばいいのになあ。」と言ってしんみりしているので、思わず他の日本人と「しゅに~ん、それは今時のフアッションですよ~」と教えてあげました。延吉には時々髪を真っ赤に染めた子もいるけど、この町にはそんな人いないだろうし、主任はびっくりしたろうなと思うと、なんかほのぼのした気持ちになりました。

 帰りの車のなか、「それにしても主任、ずっとXingziさんにべったりだったね。息子さん、Xingziさんと同い年なんだって。だから、いろいろ話がしたかったんだね。」と調整員や先輩隊員に言われて、なんとなくしんみりしてしまいました。

2000年9月のホームページに載せた日記より

暑かった延吉も最低気温が1けたになりました。延吉の街も,随分変わり、大きなスーパーも登場,日本のシャンプーや洗顔料,中国製ですが日本風味のインスタントみそ汁,使い捨て懐炉などもそこで手にはいるようになりました。暮らしやすくなりました。大学の方も,各校舎に自動販売機が登場,休憩時間や放課後,コーヒーやジュースのカップを片手におしゃべりしている学生もいます。ずいぶん変わったものです。

この夏,私はほとんど延吉で過ごしていました。北京での研修前にちょっと長春によって旅行したあと,8月のはじめは、新延辺隊員の赴任の出迎え。それから来中した両親のため延辺を案内して大連,審陽,洛陽と旅行にいきました。新隊員は延辺に4人来たのですが、外国人滞在は初めてだとい田舎の中・高等学校ということで、いろいろと大変でした。2週間近く宿なしだった人もいるし…。いきなりテレビも冷蔵庫もカーテンもなく、そして部屋の電気は豆電球、お水は一日1・2時間、といった生活に大ショックの隊員もいました。ストレスでダウンしてしまう隊員もいたし、励ますのがほんとうに大変でした。

両親は8月の終わりにきていろいろ一緒に旅行しました。ちょうど洛陽に留学中の私の妹も一緒でした。延辺,大連,審陽とまわったあと両親は帰国,そのあと私と妹は妹の留学先の洛陽へ。延辺では見て欲しいところがたくさんあって、いろいろ連れまわされた両親は大変そうだったけど(ごめんなさい…)、きれいな風景と人情に触れてもらえたかな、と思います。延辺では博覧会真っ最中の延吉や国境のある図們,長白山(すごい暴風雨でなにも見えなかった…)を観光しました。そのあと次の大連は私が(妹もかな?)大喜び。日本から来た人とは違う意味で感動してしまったのです。「街がおしゃれー! かわいい服がいっぱーい! タクシーも人もマナーがいい~!」この感動は日本に住んでいたら分からないでしょうね…

審陽はさすが東北一の都市とあって、きれいではないけれど、大きな街でした。ただ大連をみた後だったので、…。ヌルハチの作った清初期の「審陽故宮」しか観光しませんでしたが、北京の故宮に比べて大きすぎないし,満州族の習慣や伝統が色濃く出ている感じがして、なかなかおもしろかったです。

最後の洛陽では妹の留学先の人々や留学生仲間にも会って、楽しく過ごしました。黄土地帯にある歴史ある洛陽は、日本の農村のような丘陵地の広がる延吉とは風景も街の感じも全然ちがいます。崖が多くて、そこに横穴式の住居(いまはもうほとんど使われていない)があったのが印象に残っています。埃っぽいし,少数民族の一つ、回族(彼らはイスラム教徒)も多いし、「西へきた!」という感じでした。妹の留学先の人たちといろいろお話しができたのも楽しかった。洛陽名物の水席料理フルコースも食べられたし,旧市街をぶらぶらできたし,のんびり洛陽を満喫できてよかったです。でも一番嬉しかったのは,寺院があったり,古い建物があったり,歴史が感じられたこと,中国っぽい雰囲気に触れられたことでした。また「ほんとの中国」を見に外へ出たいなあ。

そうそう,今父はこの旅行の旅行記を書いているそうです。読んでみたい方はまたメールしてください。
 
授業は9月の半ばに始まりました。今学期は4年生の「音声・語彙・文法学」,1,2年生の「会話」を担当しています。授業数は先学期よりぐっと増えたのですが,もう中国の生活にも慣れたし,会話は2年目とあって,ちょっと気持ちに余裕があります。ただ…4年生の授業ははじめての講義式の授業なのでちょっとピリピリしています。忙しいけど,教えるのが今すごく楽しいです。延吉生活もいますごく楽しい。最近やっと漢族の知りあいや友達もできました。いままで朝鮮族側からしか見えなかった世界が少し広がったような気がします。知り合いも増え,延辺や中国のことも一通り分かるようになり,何がなんだかわからなかった一年目と違って自由自在に活動できるようにもなりました。今ではパワフルな中国人に「いつも元気ですねえ…」と言われてしまうまでになった私です。途中で力尽きないように,一学期乗りきれるといいのですが。

私の延辺生活&隊員生活もあと10ヶ月。残りの時間,悔いの残らない充実した毎日になるように頑張ろうと思っています。では,また!

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プロフィール

Xingzi

Author:Xingzi
20世紀末から21世紀初めまで、中国吉林省の延辺朝鮮族自治州の州都・延吉で、日本語教師をしていました。その時の体験記のブログです。
(ブログ内容の無断転載はお断りしています。)

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