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延吉探検、西へ東へ

ロンドンは街の西が「ウエストエンド」、街の東が「イーストエンド」といって、それぞれ雰囲気が違います。西はショッピングで有名なオクスフォードストリートがあったりと、比較的裕福な人が住むといわれていて、東側はというと庶民的な下町、どちらかというと労働者階級の人達の住む街というイメージがあります。アメリカのことはよく分かりませんが、ニューヨークでも「ウエストサイド」「イーストサイド」という呼び名があるように、結構街を東と西とに分けて考えることって多いのではないかと思います。

…と話がそれてしまいましたが、私が住んでいた延吉の街も、東と西とでは少し雰囲気が違います。東には漢族が多く住んでいて、西には朝鮮族が多く住んでいるから。そんなわけで西に行くと朝鮮語がよく聞こえ、朝鮮料理のお店も多く、東に行くと漢語がよく聞こえてくるようになります。

そんな街の様子をよくあらわしているのが延吉の「東市場」と「西市場」。延吉の2大市場なのですが、東市場はその名の通り街の東にあるため、漢族の世界。お店の人もほとんどが漢族です。市場の上には食堂やリサイクルショップなどが並んでいて、食堂の食べ物はほとんど中華。餃子やワンタン、蘭州ラーメンという中国西方の麺料理などが並んでいます。漢族には仏教を信じる人が多いのでしょうか、仏像やお香なども東市場でしか手に入りません。それに対して西市場には朝鮮族の店員が多く、キムチや朝鮮料理の食材、朝鮮族の民族衣装、韓国製品や北朝鮮グッズなども並んでいて、それ目当ての観光客もよく目にします。私が住んでいたのは街の西側、すべての用事は西市場で住んでしまうのですが、時々「中国らしさ」「漢族の世界」を求めて東市場まで買い物にいったりしていました。

ところで、延吉をたつ少し前、街の隅々まで見ておきたい、とバスの終点まで行ってみるツアーをしてみたことがあります。37番だったでしょうか、延吉の東の端まで行くバスに乗ったことがあります。いったいどんなところへ行くのか、ドキドキしながらのりました。東市場を過ぎ、バスは廃材でできた掘建て小屋のようなものの並んだ市場の前を過ぎていきます。家々はすべて平屋建て、行き交う人達はほとんど漢族だというのが見るだけでわかります。さすがの私も買うのはためらってしまうような殺伐とした風景の市場の向かいに、小さな教会があったのがとても印象的でした。さらに進むと廃品回収業者の集落に入ります。朝鮮族は肉体労働を嫌うので、こういう仕事をする人はほとんどが漢族だと聞きます。。建物の入り口にはすべて「福」という字の書かれた紙が張られているので、どこも漢族のうちだというのがわかります。家の作りも四方を壁に囲まれた感じの漢族の家。その庭にはペットボトルやダンボールといった拾ってきたゴミが高々と積み上げられています。まるでゴミの中に家があるような風景は、ショックでした。彼らがゴミを拾ってくれているおかげで、13億人の住む中国のゴミのリサイクルが成り立っているんだと思いながら通りすぎました。

そこを通りすぎると、もっと小さな家々の並ぶとおりを通り、しばらくすると少し開けたところにでます。街の中心からたった20分ほどの旅ですが、ここが延吉の東の端。たどり着いた先は精神病院でした。背後にはなだらかな丘が見えます。他には何もないのでまた今度は中心行きのバスに乗り換えて中心へもどりました。

街の西の端にも行ったことがあります。街の中心からは4番のバスで20分から30分ほどだったでしょうか。延辺大学の前を過ぎ、氷川ビールという延吉のビール会社の前を過ぎ、ずっと進んでいくと町の東につきます。こちらはそれほど印象に残っていないのですが、途中水はけの悪い道があって、大雨の降った後などは大変だったような気がします。終点は畑に囲まれた集落だったような気がします。オンドルの煙が煙突から漂い、タクシーがつけたわだちの残るぬかるんだ道で子供たちがのんびり遊んでいて、なんとなく懐かしいような、ちょっと寂しいような、そんな感じのするような家並みでした。

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和龍と龍井へ

1999年 11月5日の日記より。

今週は北京から調整員がやってきました。彼女は延吉市内の隊員の配属先を回る以外に、来夏延辺へ派遣される5人の新隊員の赴任先をまわるとのこと。私も授業のなかった木曜、調整員や先輩隊員とともに、その新隊員の赴任予定地、和龍、龍井の2箇所へと行ってきました。ゆっくり街をみる暇はありませんでしたが、それぞれの街で、白酒(ばいちゅう)を一気しながら町の先生方とお話しました。

はじめに行った和龍は、北朝鮮との国境にある朝鮮族の聖地、白頭山(中国名:長白山)観光の途中に通る町です。

訪問先であり新隊員の赴任予定地でもあるのはもちろん朝鮮族の学校。元日本語の先生だという校長先生たちが出迎えてくれました。日本語組の先生たちは、もう50近いアズマイ(延辺朝鮮語でおばさんの方言)たち。協力隊について日本語を交えて説明したところ、先生達は調整員の、「おわかりいただけましたでしょうか」といった丁寧な敬語に感激! そんなやわらかい言い方は自分たちにできない、私達もそんな丁寧な言葉を話してみたい、と言い出したり、説明の途中で日本語についての質問がどんどん飛び出したりと、ほんとに勉強熱心。ここなら隊員が来ても大丈夫、と思った私達でした。

その後、その学校関係者達と昼食を食べました。コートを脱いだ調整員と私の服装をみて、「日本人も中国人とおなじ服を着てる」と驚く先生達。これには驚きました。そして、校長先生から更におどろきの発言。「いやあ、昨日、『今日協力隊の人が来る』と連絡を受けて、てっきり今日うちの学校に新しい隊員がくることになったと思って、慌てて朝、部屋を準備したんですよ。その上、一男一女が来るというじゃないですか! 部屋が足りないと、びっくりしましたよ!」

…そんな急に来るはずないですよね。それにしても「あれ? 今日来るのか。」なんてその当日に平気で準備しちゃうなんて、中国らしい…。(そうです、いつでもそうなのです。中国では「計画」はなきに等しいのです。ときどき立てるだけ無駄なような気もしてしまいます。)校長先生達は早くても来年の8月だときいて、ちょっとがっかりしていました。

午後行った龍井は延吉にも近く、井戸から龍が生まれたという朝鮮族の伝説の地。この町にある高校にも来夏青年海外協力隊の隊員が赴任することになっています。日語組の教研室へいくと「あれ、Xingzi先生」という声。なんと延辺大4年生の学生が教育実習に来ていたのです。びっくりしました。

学校の様子や学校からの要請についていろいろお話した後、今度はこの学校の関係者と夕食&白酒しました。このとき私の席は、中国でいう教育委員会の主任のとなりでした。なんでも主任の息子は日本に留学中で、東京の語学学校で勉強しているとのこと。「うちの息子は30分かけて学校へ行って、その後遅くまでバイトをして、寝る時間が5時間しかないと言うんだ。」という主任の息子の話をいろいろ聞きました。

 結局私はずーーーっと宴会の間中主任と話していました。途中、主任はいきなり、向こう側で話しをしていた先輩隊員に「おまえの髪は青くしたことがあるか」とききはじめました。「息子の髪はねえ、日本から帰ってきたとき、青色になってたんだよ!!」とか、「うちの息子は日本から帰ってきたとき、色あせたTシャツに、横に筋みたいにあなの開いたジーパンをはいて帰ってきたんだよ。慌てて新しい服を買ってやったよ。服くらい買えばいいのになあ。」と言ってしんみりしているので、思わず他の日本人と「しゅに~ん、それは今時のフアッションですよ~」と教えてあげました。延吉には時々髪を真っ赤に染めた子もいるけど、この町にはそんな人いないだろうし、主任はびっくりしたろうなと思うと、なんかほのぼのした気持ちになりました。

 帰りの車のなか、「それにしても主任、ずっとXingziさんにべったりだったね。息子さん、Xingziさんと同い年なんだって。だから、いろいろ話がしたかったんだね。」と調整員や先輩隊員に言われて、なんとなくしんみりしてしまいました。
プロフィール

Xingzi

Author:Xingzi
20世紀末から21世紀初めまで、中国吉林省の延辺朝鮮族自治州の州都・延吉で、日本語教師をしていました。その時の体験記のブログです。
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